空気なんてどうでもいい

日本では最近空気だのTPOだの、ギャアギャアうるさいですが、欧米では空気を読んで黙っていたら「意見が何もない、考えることもできないアホ」と捉えられるようですね。グローバル化によって世界が数年単位で激動している中で、何も言わないとか何も発信しないのは、美徳どころかとんでもない害悪だと思います。黙っている間にドンドンと自分に不利な方向へ話が進んでいきます。空気は読まないほうがいい。読んだら負け。間違いなんて恐れずに何でも言ったらいい。互いに批判しあってナンボの世界。どんどんPublicに出すべきです。

もちろん、しんどければ自らの意思で黙っているという手もあるとは思います。あるいは自分だけよければいいと思えば、他人との議論など無視して、勝手に自分だけの世界に突き進めばいい。それも選択肢の一つです。空気を読むのではなく、あくまで自分の確固たる意思で動くなら、黙っていたってなんら悪いことはない。その分、別のところでエネルギーを発揮すればいいのですから。

結局、周りの空気なんてどうでもいい。最終的には自分が議論の場をどう考えるかだ。それで自分の行動を決めればいい。その自律性こそが最大の価値である。

「チュートリをどこまで頑張るか」、について複数の友人と議論して私が達した結論です。

しかしながら、「空気を読む班」ほど充実感ややる気がなくなりますね。どう考えても「空気」は活力を低下させる原因です。KYなんて言葉が流行る時点で日本も終わってるという印象を受けます。

意味が不明ですね。上記のことが分かる方は同じ立場にある方か、理解力が優れている方だと思います。