新提言「分からない」判決を

医療崩壊の議論の中で「司法が医療をつぶした」ということがよく言われています。トンデモ裁判の判例が現場で日常行われている医療行為を制限し、現場の萎縮を招いて医療を崩壊させたのだという意味です。この真偽に関しては私自身は「本当のところはよく分からないのではないか」と思っているのですが、少なくとも全く法による制限のない自由な医療と比べれば、医療裁判の判例蓄積が一部の医療行為を少しずつ制限し、医療の扱える幅を徐々に狭めてきたということは確かです。すでにあるルールを削除することなく、新しいルールを設けるということは、基本的には今までグレーゾーンであったか、やってよかった範囲を制限するものですからね。ルールが追加されるたびに適法領域は徐々に狭くなり、違法領域は広くなります。もし、この現象が長年に渡って続くのであれば、極端な話、縦軸に時間t、横軸にできる行為の量yを取れば、y=\frac{1}{t}y=e^{-t}のグラフのように医療はt=∞で消滅してしまうことになります。判例の蓄積は社会を崩壊させる要素をはらんでいるのです。(ここでは「判例法は日本では法源としての効力を持たない」というような形式上の指摘は無視します)

では、これをどうやって食い止めるかですが、手段としては3つほどあると思います。
一つは、これ以上やってよい範囲が狭まらないように判例の新規登場を防止するという手段です。グラフで言えば、tをどんどん引き伸ばす作戦です。具体的には医療に司法を介入させないということなのですが、日本では遺族の運動などもあり、なかなか難しいでしょうね。
もう一つは、定期的に法律や判例をリセットすることです。グラフで言えば、ある時点t=kで、非連続的にグラフを上方へグッと持ち上げてやることです。具体的には憲法を含む6法や医療関係法の完全改訂ということになるでしょうが、広範囲な法律改正をどうやって進めるかは大きな課題です。クーデターや戦争があれば、こういうのは簡単にリセットされてしまうのですが。
三つ目は、これは一つ目とよく似ているですが、民事でも刑事でも裁判官が「分からない」という判決を出すことを是認するということです。白黒はっきりさせずに、グレーゾーンはグレーゾーンのまま残しておくと。本来、人間は何をしでかすか分からない動物です。まさしく神が造った物。ただ、自由奔放過ぎて共食いとか虐殺とかされてもそれは種の維持という観点からよくないので、法律というYES or NOの論理でガチガチに線引きされた人工の規制をかけて、社会秩序を保とうとしているわけです。ただ、人間には生来の曖昧さがあるはずなのに、それを無理やりはっきりと線引きして区切ろうとするので、あちこちに抽象表現や疑問、抜け穴、矛盾が出てきます。裁判官は個別の事例において、そういう曖昧な点についても白黒つけてなんとか判決を出さないといけないので、無理に論理や慣習法を用いてその障壁をクリアしようと試みています。結果的に個別事例については白黒つけるという点で利益になるが、一般事例に対しては萎縮を産みかねない害悪を持った副産物「判例」が出てきてしまうのだ。私はそう理解しています。それならば、逆に個別の事例で白黒をつけずに、一般事象での萎縮防止を優先するという選択肢があってもいいんじゃないかと思うんですね。それが「分からない」判決を出すことを是認するというアイデアです。罪刑法定主義がある刑事はともかく、金銭的解決が基本の民事では「分からない」判決を出すことで色々な問題は出るだろうし、詳細は詰めないといけませんが、社会全体の利益を考えたときにはこういう発想もありだと思います。

まぁ、こんなことをするよりも本当はこまめに法律を改訂して、グラフをちょこちょこ引き上げてやるのが一番なのでしょうが、「日本の行政は規制行政」と言うようにどうもグラフを引き下げる方向に興味があるようなので、期待ができないんですよね。やっぱり論理優先で現場を軽視する法文系の人間が官僚に数多く入っているからでしょうか。さらに官僚主義や縦割り行政の硬直した体質からか、国会の会期が短いせいか、一度できた法律を積極的に変える事を良しとしない風潮があります。厚労省の場合は、あまりに規制行政の仕事量が多くなったためか、規制緩和を積極的に進めてはいますが、医療機関の広告だとかそういう周辺分野の規制緩和が多く、肝心の医療内容についてはあまりタッチしないか、保険適応をいじってどちらかというと規制する方向に動いています。

それでもなんとか各種業界が生き延びてきたのは、技術の進歩があるからです。法律は本来の性状として行為を規制する方向に働きますが、一方で技術の発展はできる行為の範囲を広げ、全体のパイを大きくする効果があります。「昔は○○するのが普通だったけど、技術の進歩によって代替手段の△△ができるようになったので、○○は法律によって禁止された」という話はよくあること。新しい技術は問題も起こしますが、社会規模を維持する上でよい効果を発揮していることが分かります。

権力の強さでは法律>技術かもしれないが、本当に持続的な社会を支えているのは技術>法律だなということは最近よく感じることです。理系の僻みといわれればそれまでですが。