日本人の危機管理が悪い理由

地震関連で危機管理関連の本をいろいろ読んだり、論文を調べたりしているのですが、いろいろな専門家が共通にして口にしているのが、日本人の「恥の文化」の悪影響です。

危機対応時を含め、何かの失敗を「恥」や「身から出たさび」として捉え、周りの人間も「ああいうことをやった人間」と冷たく見続ける。こういう悪い慣習が根付いているために、何かが起きた後に外部に知られまいと失敗を隠そうとするし、失敗を外に出して、何が悪かったのを皆で分析し、次はどうすればいいかということを議論しない。責任をできるだけ別のところに転嫁しようとする。さらには、このように失敗を恥として捉える文化的な下地があるために、本人や社会のストレスを軽減するためか「運が悪かった」「誰にでもある」「失敗は忘れるべきもの」という対処の仕方をし、喉元過ぎれば熱さを忘れる。そしてまた同じことが起これば、「天災は忘れた頃にやってくる」と言う。そしていつまでも同じ事を繰り返す。

一方で欧米、特に米国は実用的な文化といわれます。キリスト教の下地があるためか、失敗は「神から与えられた試練」であり、「そこから何かを学び再発を防ぐべきもの」という風に捉えられているようです。恥ずべきものとして捉えられていない。したがって、失敗の後の対応が全く異なります。失敗を積極的に出そうとするし、それをもとに皆で徹底的に分析し、教訓を得て、同じことが起きないようにそれを次に生かす。失敗も忘れられることはなく、教訓として残り続けるわけです。

確かに封建制度のように比較的単純な社会では、島国日本の恥の文化は品質管理を向上させる意味では良かったかもしれません。品質が悪ければ、それを作った人間が反省すればいいだけですからね。しかし、現代はグローバル化が進み、あらゆるところかあらゆるものが運び込まれ、運び出される時代です。高度に分業が進み、スピード化され、自分が普段使っているものがどのように製造・管理されているか想像もつかない時代に、単純なシステムを前提にした「恥の文化」は再発防止という観点から全く意味をなしません。複雑なシステムでは、誰かのちょっとした許せる失敗が結果的にとんでもない惨事を招くからです。そんな時に「恥」の文化でもって、本人だけに反省を求めても、同じことは必ず起こります。事実を積極的に明らかにし、複雑なシステムの中でどこが悪かったのを科学的に究明し、システム全体で再発防止に取り組む。それができるのは、明らかに実用的な文化の方でしょう。

最近、色々な事件事故が起こりますが、ブログや掲示板などを見ていると、「日本人の恥の文化はどこへ行った!」「若者は恥の文化を知るべき」とかそういうことばかりが書いてあります。
大間違いです。
最近の人間が恥を気にしなくなったのは、戦前の教育が恥を重視しすぎたことの裏返しという側面もありますが、システムが複雑化して小さな失敗が大きなことにつながりやすくなった社会システムの中で、「恥の文化」をベースに失敗に対応していては、とてもではないが精神がもたない所以の結果です。現代の複雑なシステムに適応する過程で、自然と「恥」を気にしないようにしているのです。この状況の中で未だに「恥の文化」を持っている人であれば往々にして自殺のリスクが高まります。徳育だのなんだのと結びつけて「恥の文化を持て」などということは、それこそ年間3万人にのぼる自殺者をさらに増やすだけです。

「恥の文化」は現代では捨て去るべき文化です。現代システムに適応できない文化なのですから。もっとも、「恥」は日本においてはいわゆる故意的な犯罪を防止する道徳的規範としても機能してきました。「恥」を捨てれば、当然今までには考えられなかったような故意犯罪が増えることになります。

では「恥」のない現代日本において、何を道徳規範にすればいいのか。法律を主体とした厳罰主義という手法もありますが、とばっちりや受刑者を増やして萎縮を産み、社会システムを崩壊させるだけなので、私は懐疑的です。やはり宗教的なものの導入が最善策だと思っています。いわゆる欧米型の「罪の文化」をそのまま導入することは難しいかもしれませんが、宗教は人の内面に直接働きかける性質から規範意識を与える役割としては最適です。さらに世界的に見ても都市は宗教と強い親和性を持っています。田舎のムラが消え、都市化が進む日本に宗教を導入しない手はありません。具体的な宗教名は挙げないでおきます。日本で最も浸透している宗教といえば一つしかありませんが、他にも色々な宗教やスピリチュアリティと呼ばれているものがあり、それぞれ良いところを持っています。

オウムやイスラム過激派のイメージから、日本では組織的な宗教は忌避されていますが、治安の向上や薄れた規範の復活、自殺者の減少には宗教しか処方箋はないのではないかと私は考えています。恥の文化を復活させるよりはよっぽどマシです。