医療崩壊の議論を見る上での注意点

医療崩壊では私も含めいろいろな立場、考え方の人が色々なことを言っています。その議論を見る上で注意しないといけないことは

  • 議論の参加者にはそれぞれの立場がある
  • 議論の参加者にはそれぞれ価値観がある
  • 「絶対」「当然」という言葉には要注意

ってことですかね。

意見を言う人にはそれぞれ自分の立場というものを持っています。その立場を完全に無視して発言することなどありえません。何かの意図が少しは含まれていると考えるべきです。

たとえば開業医なら開業医、勤務医なら勤務医、看護師なら看護師、官僚なら官僚の立場があります。そして、彼らの発言には少なからず所属するコミュニティや職能ギルドの裏打ちがあります。そして、こうしたコミュニティ、ギルド間の権力的確執が発言に大きく影響してきます。団体間の確執の歴史を意識しなければ、どちらかの偏った意見を盲目的に受け入れてしまうことになり、本質を大きく見誤ることになります。

たとえば医師会と厚労省とでは、医師の所得アップや医療の充実を目指して医療費の増加を求める医師会と、社会保障費抑制の観点から医療費の押さえ込みを目指す厚労省の間で長年の確執があります。中医協などを見ていると、その対立構造は明らかですね。従って医師は厚労省を批判し、厚労省は医師会を批判します。真っ当な指摘も多く存在しますが、単なる確執からくる感情論じゃん、というのもたくさんあります。

看護師と医師の対立にも似たようなものがあります。
舛添大臣がこういう発言をしていました。「看護師さんの集まりのトップと議論すると、『敵は開業医だ。医者がいるからわたしたちは駄目なんだ』という話になってしまう。それぞれの職能団体の要望事項をまとめるのはいいが、患者の視点で見たら医師会と看護師(の)会が対立している。その割を食らうのは患者だ」
医師の議論を見ていると医師の側にも全く同じことが言えると思います。

医学生として、ある程度までは医師の意見に同調することはやむを得ないことですが、完全に同調してしまっていては対立の構造をいつまでも繰り返すだけで何の進歩にもなりません。我々医学生には常にインプリンティングが働いています。厚労省の立場を少し知っているものとしては、医学部の授業での講師の発言の中には「ああ、医学生に刷り込みをしているのだな」と思えるものも少なからず存在します。授業も盲目的に受けれいれてはダメなのです。入試だけが目的の高校の授業と、大学の授業はその点が大きく違う。教員の依拠する背景というものも考えなければなりません。

このことは私が行っているチュートリの資料調べについても言えます。治療等に関して分野内で大きく対立していることは、両者の書いた資料を両方見る必要があります。物事は複眼的に見ないといけない。一冊の資料を見て、コレだとやることほど危険なことはありません。