希望を失った若者の苦悩

ネットに映し出された現実・希望を失った若者の苦悩
ネット私刑論などネット社会学で有名な藤代氏の興味深い記事。

現代の社会問題を考える上で特に重要な部分を抜書きしてみました。

皆が貧乏で苦しかったけれど、明日になったら少しは良くなると信じられた高度成長期ならどんな人にも多少の希望があった。結婚して子供を持つ、それは平凡な夢かもしれないけれど比較的かなえられた。どんなに普通のサラリーマンでも昇給して、ちょっとは偉くなり、部下もできた……。

不安定な身分では不安を感じない人の方が稀だろう。いまの日本で職がなくて死ぬことは少ないかもしれないが、社会に希望は見えにくい。このような立場の若者に「甘えるな」「頑張れ」「努力しろ」と言ったところで何も解決しない。

社会のルートから外れつつも真面目に働く若者。しかし報われない。そのような若者には社会への不信、将来への不信、人への不信が渦巻いている。人が信じられないから、自分からつながることがない。容疑者はネットという人とつながれるツールを持ちながら、つながることができなかった。

コストカットの名の下に人を取り替え可能なパーツのように扱うのが当たり前の感覚を持つようになってしまったとすれば「失われた10年」の代償は余りにも大きい。

この部分を読むと、僕が受験生だった頃を思い出します。このブログでも何回も書いたことですが、当時私はどう見ても工学部に行くべき人間でした。電気主任技術者の資格も持っていたし、趣味は電子工作やプログラミング、物理は非常に好きかつ得意で、全国模試でも物理では100番とか200番以内に入ることも何回かありました。高2までの夢は「プロジェクトXに紹介されるような技術者になりたい」。学校の七夕イベントではそう書いたほどです。でも、高3のときに工学部ではなく親と同じ医学部に志望を変えた。(親ももともと工学部志望だったが浪人中に医学部に志望を変えた)
理由はいくつかあります。小学校の頃は医者になりたかったこと、受験のために親と離れて祖父母の家で暮らしていたときに、親父が「やっぱり医者になって欲しい」と漏らしたというのを聞いたこと、高2の時に集団食中毒にかかったり、急性胃腸炎で入院したことで医学で人を助けることに興味がわいたこと、所属した学年の医学部志向が異常なほど強かったこと、たまたま中村祐輔先生の講演を聞いて遺伝子解析で治療を変えるという先進的医療に強い興味を持ったこと、父方が医者家系の中で母親からの圧力が強かったこと(一人っ子なので)。

色々ありますが、一番大きかったのは工学部の将来への強い不安でした。中国やインドからは国家的な支援を受けて猛勉強した優秀な学生が次々と輩出され、日本企業はグローバル化の進展に伴い、日本で大幅なリストラを行い、開発や製造現場を中国やベトナムなど新興国発展途上国に移転している。韓国や台湾のメーカーが日本の電機メーカーを凌駕するようになっており、かつて日本の産業の花形といわれた電気電子、半導体の分野は今やオフショアリングの典型のような存在になっている。まさに人がパーツのように入れ替え可能に働かされている時代、「たとえ東大工学部出身であっても、必ずしも職にありつけるとは限らない」。たとえ物理や工学が大好きでもそういう不安は常にありましたし、新聞などでも東大卒ニートの話が話題になっていた時期でした(最近は東大卒の中にもダメな人がいるというのがだんだん分かってきて納得は出来たのですが)。工学部志望とは公言しつつも、常にその不安を抱えながら受験勉強をするのは正直、かなり苦痛を伴うものでした。志望大学に合格したからと言ってその努力が報われるとは限らないのに、しんどい受験勉強をするわけですからね。まぁ、高校柄大学受験はやらざるをえないのは分かっていましたし、それで受験勉強をやめるつもりはありませんでしたが、衰退していった紡績産業の歴史などを考えるととにかく不安でした。

そんな中で上に示したような色々な要素も重なり、最終的に高3の始め頃に医学部に志望を転向しました。電気電子だけではなく遺伝子を扱うことに興味がありましたし(まあそれが後で仇になるわけですが)、医者には研究という道もあるということを知ったからです。医学的研究においてはやはり医者がリーダーで、工学部卒はなかなかリーダーになれないという現実もそれを後押ししました。さらに少子高齢化の進展でこれからは医療需要が増えることは間違いないという事実も、「東大行っても職がないかも」という不安にさいなまされていた私にとって、医学部志向を強くさせる要因になりました。医学部に一つ問題があるとすれば、いわゆる医学部特有の医局主義の問題で、国立でも地方の三流大学の医学部に行ったらずっとそこで居続けなければならないかも、という不安があったのですが、幸い厚生労働省が新医師臨床研修制度を開始してくれたおかげで、医局や学閥を越えて個人が好きな所に行けるようになったということを親から聞いて、「これなら将来もあるな」ということで医学部に志望を変えたのです。今話題になっている高齢化に伴う医師不足の問題、都市への医師の偏在の問題と、私が医学部に入った理由は実は表裏一体。「工学部に行っても職がないかも」という現代日本グローバル化の中で抱える深刻な問題から逃げてきた人間にとって、むしろ医師不足や偏在問題は嬉しいぐらいといえば語弊がありますが、少なくとも「職がなくて飢え死にするより、過労死した方がマシ」という意識はいつも持っています。この感覚は高度成長期やバブル期に中高生を過ごした世代には分からないでしょうね。「最近の新入社員が実はカイシャ人間」という記事をみると、なるほどと思います。

結局、私の医学部への志望転向は周囲にはかなりの驚きをもって迎えられました。「君ほど工学部に行くべき生徒はいないと思っていたのに」というのが担任の先生の第一声でした。医学部人気が全国的に医学部のレベルが相当上がっている中で、教育関係者からはかなり反対されました。担任の先生からは「今のまま頑張れば東大理Iは確実なのに、なんでわざわざリスクを冒してまで医学部に行くのか」志望は最初は関西では比較的易しめの滋賀医大にしたのですが、それでもそう言われました。成績の上昇とともに徐々に志望校を上げていきましたが、そのたびに通っていた塾の校長などから反対されました。毎回必ず言われたことは「東大理Iなら確実なのに、なぜリスクを冒してまで国公立医学部を目指すのか」。工学部の将来への不信以外の何物でもないというのがその答えです。

まぁ、私の経歴はどうでもいいとして、正直、記事から引用した部分は私にとってはすごくよく分かります。層が違うという指摘はあるかもしれませんが、将来が不安なのはこの世代であれば誰もが同じ。その層のコースから外れれば、真面目にやっていてもなかなか報われない。周囲の目も厳しい。いつパーツの取替えがあって職を失うかもしれない。そんななかで結婚をして子供を作りたいと思うか・・・。たとえ作ったとしても、彼らは少ない人数でたくさんの高齢者を支えていかなければならない。子供にそんな辛い目をさせるのか・・・。そう考えて結婚や出産をためらっている人は多いのではないでしょうか。
少子化が進展するのも無理はないと思います。