医療は何のためにある?

最近、授業で聞いたことなどからいろいろ考えることが多いのですが、そもそも医療って何のためにあるんでしょうね?
かつては結核などの感染症で若い人から年寄りまでが次々と倒れていった時代。医療は長生きをするため、若い人が病気をせずに働けるために存在していました。医者もちゃんと診断をつけて抗生物質を渡していれば、それで喜ばれていた時代。まるで病気が魔法のように治った時代。モンスターペイシェントもほとんどいなかった。感染症から国民を守ることで、若い人が安心して働くことができ、それによって経済の成長が支えられ、医療が日本の発展を支えていることが明らかな時代でした。
しかし、現代では感染症は若い人ではせいぜい風邪とかインフルエンザ、年寄りでも肺炎球菌とかその程度が大半です。もちろんリスクは残りますが、昔に比べて感染症はかなり克服されたといってもいい。その代わり、飽食や嗜好品が容易に手に入る環境からか、生活習慣病など個人の私生活にまで踏み込まなければ治せない病気が増えてきました。これらの病気は病院でクスリをポンと渡していれば済むものではありません。食事指導や禁煙指導など病院の外の領域に踏み込んだ生活指導が必要になります。当然、患者は自分のクセを改変させられるので不満はたまる、感染症のようにすぐに結果が出ないために医療に対して不信が募る、モンスターペイシェントも増える。治療をしたからといって、医療費は増えるし、高齢社会では年金生活の老人が長生きするだけで、社会負担が増えて国の財政を圧迫するばかり。

この生活習慣病の時代、医療がなぜ存在するべきなのか、そもそも存在する価値があるのか、正直、その答えを見失うことが多くなっているような気がします。確かに生活習慣病であっても医療によって、患者さんの予後は改善され、本人が長生きすることで個人や家族の幸せに貢献できるという点は変わらないと思います。しかし、それだけでは年間30兆円を越える国民医療費を費やしてでも、医療が絶対必要であるという理由付けには乏しすぎるのではないか。そういう疑問を持つ人が多いからこそ、医療費は抑制されてきたし、医療バッシングというのも激しくなされてきたわけです。

一体、医療は何のためにあるのか。もはや個人にとっては治療の効果による幸せより生活改善の負担の方が大きくなってしまっているのか、国家にとってはもうお荷物でしかないのか。医師を増やせとか医療費を増やせとか、そういう表面的なことばかりが議論されていますが、もう一度、こういう視点に立って医療を見つめなおさなければ、なんだか後に昨今の医療費抑制政策よりもはるかに恐ろしい結末が待っているような気がしてなりません。