医療立国の条件

最近、医療立国論が盛んに言われているわけですが、安易な期待は持たないようにしています。なぜか。少なくとも医療関係者の間で取り上げられている中では理念や権益面での話ばかりが先行していて、「医療立国」に必要な条件が忘れ去られているとしか思えないからです。

まず、「〜立国」というのは10年、20年以上のミッドスパン、ロングスパンで考えるべき概念です。その分野に国家規模で莫大な投資と選択集中を図るわけですから、それなりに長期的に成果を出してもらわなければ意味がありません。短期的な崩壊を防ぐためのその場しのぎの手段が「〜立国」であってはなりません。もしそんなことをすれば詐欺です。長期的ビジョンに基づく立国論である必要があります。

その点を指摘した上で、「医療立国」が成り立つためには何が必要かを考えてみます。
第一に「立国」というからには経済成長の問題と切り離して考えることは出来ません。先例を挙げましょう。かつて日本はれっきとした「技術立国」でしたし、今も「技術立国」の側面は強く残っています。この世界で何が起こっていたかというと、日本で優秀な技術者、特に電子や機械技術者が数多く育成され、メーカー間では熾烈な開発競争を行い、数多くの革新的なエレクトロニクス製品や自動車を世界に送り出していました。コピー商品もありましたが、製造業が全盛期を誇った時期であり、原材料を輸入して加工して輸出する加工輸出型の貿易によって高い経済成長率を維持してきました。
一般的に近年の急速な経済成長はイノベーションが連続して起こったことによるものだとされています。逆にイノベーションがあまり起こらなかった東側の国々ではあまり経済が成長できませんでした。つまり、「立国」が成立するにはその分野で持続的にイノベーションが起こる必要があるのです。これはグローバル化によるフラットな社会での優位性という観点からも説明がつきます。

「医療立国」でも同じことが言えます。医療で立国するためには、単に現行の医療を維持するだけではなく、医療技術や医薬品分野でのイノベーションが持続的に起こり、経済成長の原動力となる必要があります。そうしなければ他の発展途上国が猛烈な勢いで先進国を追従する中で日本は相対的に貧しくなっていき、新薬などの外国製品が買えないようになってしまうからです。また、国民皆保険や国内医療の財源はもとをたどれば国民が稼ぎ出した総付加価値、すなわちGDPなのですから、GDPが成長しないことには「医療立国」もすぐに破綻してしまいます。「立国」というからには、持続的なイノベーションにより経済成長がもたらされ、それによりさらに開発投資が進み、チャレンジ精神旺盛な人がその投資をもとに新たなイノベーションを引き起こすというような循環が成り立つ必要があるのです。

しかし、悲しいかな最近の若手医療従事者や医学生の中には「収入が安定していればそれでいい」という考えの人が非常に多いのです。「医療職が不景気の中で安定している」という視点から医学部を選んだ人も多く存在し、何か新しいものを生み出そうという気迫に欠ける感じがしています。医療環境が変われば変わるかもしれませんが、イノベーションを生み出しにくい雰囲気のなかで「医療立国」を実現するのは至難の業です。つぶれかけてはいますが、医局制度のような未だに残る封建制度もある程度影響しているのでしょうか。某学会やマスコミのように新しい試みをしようとすると、何かと「倫理的」いちゃもんをつけて破門してしまう体質というのも影響しているのかもしれません。

さらに国民皆保険という社会主義的な制度を全面的に維持していることで、イノベーションがもたらされにくいシステムが構築されています。たしかに社会保障や公共哲学の理念、公衆衛生の観点から国民皆保険は重要ですし、これからも続けていくべきだとは思います。無保険者が出てはなりません。しかし、一方でイノベーションによって医療立国を実現するにはチャレンジ精神に対してある程度のインセンティブを与えるということも必要です。これは疑いの余地がありません。新しいものを発明しても何も得られないのならば、大半の人はモチベーションが著しく低下するでしょう。

国がいい成果を選定して個人レベルでインセンティブを与えるということも一つの案でしょうが、文科省科研費の配分を見ても分かるようにかなり恣意的というか、一部は利権や学内外の政治と結びついているのではないかという配分や動きが多々あります(実際そうなんですが・・・)。私はそういうインセンティブのつけ方では結局ムダや不公平が大量に発生し、医療立国を維持するだけの十分な機能を有することはないと思っています。科研費というせいぜい数千億程度の領域では多少ムダが発生してもそこまで損失は大きくないでしょうが、30兆円以上の規模の業界でそんなことをすればムダだらけになります。

結局、インセンティブは政治が絡みやすい国家配分ではなく、市場によって与えられなければ機能しません。そのためには何度も言っていますが、皆保険は維持したままで、オプションとして先端医療や高額な医療に対して部分的に市場原理を導入する「混合診療」の導入が不可欠です。

たしかに社会主義が礼賛される社会保障の分野において市場原理を導入するのは抵抗があるでしょう。しかし、社会主義には平等性を重視する一方で、イノベーションが生み出されにくく成長が期待できないというシステム上のジレンマがあります。だからこそフランスもドイツも、そういったシステム上のジレンマをバランスよく解消すべく混合診療を導入しているのです。医療費抑制云々の問題というよりは、医療システムにおける「社会主義vs市場主義」のトレードオフ問題の一つの解決策として混合診療は重要なのです。社会主義医療しか経験してこなかった旧来のドクターにとっては不安かもしれませんが、我々(中高生の頃に小泉政治という今までにない新しい風を見てきた世代)の学生の少なからずが「第三の道」として混合診療に医療発展の可能性を見出しています。

逆に言えば混合診療を認めないのならそれも一つの手ですが、医療費は抑制され続けるでしょうし、「医療立国」も絵に描いた餅と化すことでしょう。そうしないとシステムが持ちませんのでね。何かで「立国」するならシステムはもっとオープンであるべきです。
(ちなみに私個人はどっちの道を選択してもいいと思ってます。医療立国を取って混合診療を導入しても、混合診療禁止にこだわって医療が抑制されても。それは国民の選択次第ですし、我々はそれに黙って従うか、新天地を見つけるのみです。国民が賢く判断を下してくれればいいと思っています。混合診療導入の具体的な公民バランスについては著しい不満が生じないように、医療界も含めて十分に調整をする必要があるとは思いますが)

そして、自分に不利になることを敢えて言いますが、さらに医療で最大限効率的に立国しようとするならば、医者の給料はもう少し下げる必要があるかもしれません(当然、労働時間は大幅に短くしてもらわなければならないが)。医療へ予算配分してドクターの直接の手当てになったとしても、そのお金が消費に向かい使われなければ、景気循環の観点から経済波及効果が限定的なものになるからです(日本の公共事業があまり経済波及効果をもたらさないのは地価が高いからだと言われています。つまり金が金持ちの地主に行ってしまう)。いわゆる医療従事者の限界消費性向が高いのかということが問題になります。医療従事者だけを対象にした限界消費性向の調査は知りませんが、総務省の家計調査から作成した日本総研のグラフによれば年収800万円の辺りが一番高く、1000万円を越えると大きく減少することが分かっています。医師の場合、普通の人に比べて医学書や学会費、医賠責など業務に必要な恒常的支出が多いので、その分を加味しても1000万円〜1100万円ぐらいの年収になるように(現在は1200万ぐらい)設定すれば、医療にさらにお金を支出したときの景気波及効果が大きくなります。もっともフリードマン恒常所得仮説が本当ならば、この議論もかなり狂ってしまうのですが(かなりケインズ的な話をしてますからね)。

まぁ、医療界の中には「ちょっと年収減ってもいいから、とにかく医師を増やして休ましてくれ」という声が多いのも事実なので、これでいいと言えばいいことになってしまうのでしょうが。メディカル・クラークを増やすというのも雇用へのよい効果があることでしょう。私はそういう観点では、公共事業よりかは医療にお金を回したほうが経済、特に消費を刺激することになるのではないかと考えています。

現時点でも経済波及効果だけを考えれば医療は公共事業以上に経済波及効果の大きな業種の一つです。しかし、それを「立国」まで持っていこうとすれば、混合診療の部分導入が欠かせません。単に宮内が嫌いだからとか、「保険会社が利益を狙っている」という感情論ではなくて、医療の大局的な発展を考えて(その過程で保険会社を若干利することがあってもいいと思います。患者も含めてwin-winであればそれでいい)その上で、混合診療の議論をしてもらいたいものです。

以下、ホンネトーク
多くの人は同じ考えでしょうが、いわゆる本当の「金持ち」には正直妬む気にすらなりません。芦屋マダムがウン百万円もする自費治療を受けていたとして、良識のある人はそれを「不公平だ」と言う気にはなりませんよ。「金持ちは違うなぁ」、ぐらいなものです。医療格差といいますが、おそらく普通の人間がが本気で不満を感じるのは、急性期にちゃんとした医療が受けられないとか、唯一の治療法が保険適用されてないとか、そういう場合でしょう。その「聖域」さえ守られさえすれば、芦屋マダムレベルの医療格差に大した不満は感じないと思います。格差はなんでもダメだというのではなく、不満を生じさせる格差がイカンのです。その点、ちょっと混合診療に伴う医療格差に関する議論は短絡的過ぎる印象を強く持っています。