本質を突いた麻生の医療費発言

「67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしていたり、医者にやたらにかかっている人がいる。こちらの方がはるかに医療費がかかってない。毎朝歩いたり何かしているからだ。たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の医療費を何でわたしが払うんだ。努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、インセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る」という麻生発言ですが、表面上の批判はさておき、私はなかなか医療保険制度の核心をついた発言だと思いました。

これはいわゆる「モラル・ハザード」の問題です。モラル・ハザードというと最近は倫理観の欠如とかそういう意味で使われることが多いのですが、もともとは保険やリスク心理学の専門用語で、「保険をかけると、保険があるからと安心してしまい、より危険な行動に出たり、危険を回避しなくなる」という人間の心理行動のことを指します。医療も同じで健康保険制度や高齢者医療制度があると、比較的低額で医療を受けられるため、健康に気を配らなくなるという現象が知られています。
野党のアホ党首さんは「病気になりたくてなっているわけではないからその考え方はおかしい」と指摘しますが、物事はそう単純ではありません。実際、タバコや飲酒をやめさしたり、食事行動を変えさせるときに、「病気になっても高額療養費制度があるから」とか「ア○コの入院保険入ってるから」と患者がゴネて行動を変えようとしないということは、結構よくあることです。また、保険という観点からは離れますが、ラグビーや格闘技などケガが多いスポーツをする人にも「骨折しても近くの病院で診てもらえるから」というモラル・ハザードがあります。もし、「医療を受けられないかも」という意識があれば、始めから危険なスポーツをやろうとは思わないはずです。最近の医療崩壊の原因に患者のコンビニ受診が挙げられていますが、これも「最近は夜も病院が開いているから、昼間に仕事を休んでいかなくてもいい」という意識からくるもので、一種のモラル・ハザードといえます。
このようにモラル・ハザードは日常のあらゆる場面で遭遇しますし、実は医療のみならず生活保護等も含めて社会保障制度というのは、常にモラル・ハザードとの戦いなのです。麻生発言は実は単なる個人的な感想なのかもしれませんが、結果的には「社会保障におけるモラル・ハザードとその負担について」という重要な問題を提起しています。あまりにモラル・ハザードを軽視し、「誰でもいつでも何をしていても医療が同等に安く受けられる」という仕組みを作れば、麻生総理のようにリスク回避行動の努力をしている人々の不満が増大するほか、社会主義国家がたどったのと同様、いずれは財政が破綻する結果となります。一方、モラル・ハザード対策を重視しすぎて自己責任で医療を受けさせる仕組みを作れば、医療を受けられなかった人々の社会不満が増大すると同時に、リスク回避行動が大きくなり、新しいイノベーションやチャンスを生み出すためのリスク・テイキングが減衰し、競争力を失う結果となります。要するにモラル・ハザード対策はバランスが重要なのです。

現に日本の健康保険制度がどうやってモラル・ハザード対策をしているか、といえば窓口負担を設けたというのが挙げられます。いま、病院に健康保険をつかってかかると普通の人は医療費の3割を窓口で支払う仕組みになっています。健保が創設されたころは、本人はこの負担さえ必要ない時期もあったのですが、さすがにこれだと病院へ行き放題ということで、モラル・ハザードを無視することになるため、たくさん医療を受ければ受けるだけ自己負担が増える仕組みを導入したのです。その割合は高齢化と健保財政の悪化、生活習慣病の増加にともない、徐々に1割から2割、3割へと引き上げられて今に至っています。
しかし、このやり方だけでは、あくまで病気になったかならなかったか、という結果に対してインセンティブをつけているので、健康増進の努力をしていようがしていまいが、病気になればお金をたくさん払わないといけなくなりますし、理不尽という見方が出てきてもおかしくありません。一般的に病気の発症には、努力で何とかできる環境因子と、自分ではどうにもできない遺伝因子があるとされていますから、遺伝的に病気になりやすい人は明らかに不利です。この制度では間接的に優性思想を支持していると言えるかもしれません。
そこで、最近導入が検討されているのが、健康増進の努力に対してインセンティブをつけるというやり方です。先日問題になった後期高齢者医療制度では、健保からの高齢者医療への支援金が40歳以上に適応されるメタボ検診と連動することになりました。すなわち、メタボ検診でよりメタボを減らした健保は後期高齢者医療支援金が減額され、メタボを減らせなかった健保には支援金が増額される仕組みです。生活習慣病には肥満がリスクになると科学的に証明されているものが数多くありますし、肥満が健康に悪いということは多くの人の常識になっています。肥満と密接な関係のあるメタボを指標に健康管理の努力を評価し、それに対してインセンティブをつけていくというのが、この制度の趣旨であることを考えれば、少し前進したといえます。しかし、

  • 他のリスクを加味せず、メタボだけで健康管理の努力を評価していいのか
  • メタボは医療機関受診に比べれば健康管理努力を評価しやすい指標ではあるが、やはり遺伝的にどうしても太りやすい人はいるもので、その点では結果の評価にとどまっている
  • インセンティブとなる後期高齢者医療支援金はあくまで健保に課されるものであり、最終的に保険料に響くとはいえ、個人レベルのインセンティブはあまり働かない

というような問題があるのも事実です。
そこで、さらに個人の努力を評価する方法として検討されているのが、「たばこ税」や「酒税」などいわゆる健康を害する嗜好品に対する税の強化と社会保障目的税化です。これだとタバコや酒をやめるという努力をすれば税を免れるわけで、純粋に努力のみを評価することができます。ただ、これは健康管理そのものではなく、健康に害を及ぼす物質そのものに対してペナルティを課すことになるため、過介入ではないかとする指摘もあります。もっとも、酒やタバコを買っておいてそれをいつも飲まないという人はほとんどいないでしょうから、そこまで問題にはならないとは思いますが。あと、やはり健康を害する要因は他にもあるのに、なぜ酒とタバコだけなのか、という不満はいつもついてまわります。
究極の理想を言えば、たとえば運動の日課や食事制限の努力を客観的かつ正確に評価できるシステムができれば、健康管理の努力を評価することが出来るのですが、1億2千万以上の全国民にそれを適用するのはICチップでも埋め込まないと不可能なので、難しいところです。

とにもかくにも、「人は病気になりたくてなっているわけではない」のであれば、まさに麻生総理のいうように、毎朝歩くとかそういう健康管理を努力を評価するシステムを導入する必要があるわけで、野党の指摘は全くの的外れです。