死刑制度廃止を支持する理系的理由

私は死刑制度は、仮出所なしの懲役を導入する代わりに原則廃止すべきと思っています。ただし、単に殺すのが可愛そうだからとか、世界的な流れがそうだからとか、そういう理由ではありません。

日本の人口は1億人を越えています。1億人もいれば、本当に色々な人がいます。普通にサラリーマン生活を送る人、ベンチャーを立ち上げて一躍成功する人、何かの間違いで豚箱入りになる人・・・。日本の価値基準では概ね、
成功して金持ちになった人 > 普通の人 > 失敗して借金まみれになった人 > 犯罪者
という序列があるのですが、これを一つの連続した評価軸として1億人をプロットすると、幾分かのskewはあるにせよ、正規分布に近い分布を取ることが予想されます。(当然ながら証明はできません。ここで言いたいことは、真ん中の層が厚くて、両端になるほど人数が少なくなるであろうということです)

そのなかで、分布の端っこに位置する犯罪者は、そのまま社会に放り出しておくと危険なので壁で隔離され、懲役や禁固という名目で、更生または労役の徒につきます。しかし、死刑というのは隔離ではなく、この分布の中からプロットそのものを消し去ることを意味します。
「究極の外れ値なんだから、消し去ってどこが悪い」と主張する人もいるでしょう。しかし、マーケティングや組織マネジメントの分野で有名な2:6:2の法則(私も経験上、この法則の存在を感じます)によれば、「組織の中には2割の優秀な人間、6割の普通の人間、2割のダメな人間がいる。だからといって、優秀な2割だけで組織を構成すれば、全員が優秀に働くかといえば、そんなことはなく、そのなかで新たな2-6-2が生じるだけである。逆にダメな2割だけを集めたら、その中から優秀なものが出てくる」なのだそうです。従って、死刑によって外れ値を除外したところで、残りの人間の中からまた新たな外れ値が生じるだけで、結局は死刑になる人がどんどん増えるだけだろう、ということが容易に予想できます。

このことは逆に言えば、今我々が豚箱のなかに放り込まれないのは、今豚箱に入っている人のおかげだということです。彼らが死刑で死んでプロットから消えてしまうと、我々が死刑になる確率が高まります。だから、私は基本的に死刑に反対です。たとえ管理に税金がかかっても、刑務所にいる人々は生かしておくだけの価値があるのです。

おかしく見えなくもないですが、案外これは真実だと思いますね。
ちなみにこれと似たような理由で、私は日本産科婦人科学会の愚行に呆れというか、怒りさえ感じています。