見なけりゃいいのに・・・

私は「市民・遺族の裁判への積極的参加」にいつも疑問を抱いている人間なのですが、とうとうこういう事件が起きてしまいましたね。
遺体切断、法廷で検察再現 3時間半、号泣の遺族退廷
公正さが求められる法廷では、「やった」ことを証明する過程の中で、実際に被害者をどのように扱ったかを具体的に立証する必要があります。こういうことが起こるのはやむを得ませんし、検察や裁判官には責任は一切ありません。見たくなかったり、ひどく動揺しそうなら、その個人のレベルで「見ない」という選択肢を取るべきなのです。多くの人がバカワイドショーの見すぎで勘違いをしていますが、「裁判は見世物ではない」のですから。

ちなみに我々も医学の一部として法医学の授業は受けますが、いくら何度も解剖をやったり見たりした人間といえども、生理的に拒否反応を示す映像・画像はあります。特に包丁がつき刺さった遺体画像などは見ていて気持ちのいいものではありません。ある程度以上、損壊や腐敗がひどくなると人体というより「モノ」の感覚になるので、不思議なことに拒否反応はなくなるんですがね。中途半端に損壊されていると厳しいものがあります。