国民が正しい?そんなわけがない

よく「今の政治は国民の意思を反映していない」とよく考えもせずに言う人々がいます。単なるフラストレーションの発散としてなら理解できますが、この言説を本気で信じて政治家や官僚を批判するのは愚鈍です。
まず、第一にこの国の制度はどうやって出来たのでしょう?たとえば国の制度の基本をなすものに法律というものがありますが、法律は衆参それぞれにおいて国会議員の過半数が賛成したもののみが法律として成立します。つまり、法律に対して最も責任があるのは国会議員です。では国会議員はどうやって選ばれるのでしょうか?日本国憲法では20歳以上の成人であれば投票によって国会議員を選ぶ権利があります。つまり、小選挙区とか比例代表等の違いはあれ、国会議員の選出に最も責任があるのは何を隠そう、我々国民です。ここまでは義務教育を受けたなら誰でもが知っているような話で、ここに書く意義も見当たらないほどです。

では、なぜ一部の人々(特に思想運動をする人々)はそんなことを知っていながら「今の政治は国民の意思を反映していない」というのでしょうか。

可能性1:自分と国民を同一視している

一番可能性として大きいのは、「自分の考えと今の制度が異なるから」だけからでしょう。彼らが言えることは「今の政治は自分の意思を反映していない」というだけです。「国民と自分とは違う点もある」という基本的なことに気付いていないか、「自分こそ国民すべてなのである」という傲慢な考えに毒されているがためにこのような間違いを犯すのです。国民は1億2千万以上います。確かに自分は国民の一部ではありますが、国民の総体ではありません。そのことをちゃんと意識すれば、「今の政治は国民の意思を反映していない」だのという大それたことは言えるはずもないのです。少なくとも一人の人間が自己の独断で定義する「国民」と、選挙という何千万人もが参加したイベントの結果によって定義された「国民」では重みがはるかに違うことは明らかです。

可能性2:時間の蓄積の問題

この問題については、だいたい可能性1でほとんどは片付くのですが、百歩譲って彼らのいうように「今の政治は国民(の総体)の意思を反映していない」という主張が正しいとします。だとすると、なぜ今の政治は国民の意思を反映していないのでしょうか。2番目に考えられる理由としては、政治や制度、法律というものの多くが過去から引き継がれたからというものです。例えばここ数年目の敵にされている官僚制は制度的には明治の頃から存在するものですし、各種の法律の中には自分が生まれたときから決まっていたというものも多数存在します。自分達はその法律や制度の決定プロセスに(選挙という形でも)一瞬たりとも参加していないのに、すでにそのルールが存在していることで、現在の「国民」の意思と、現在の政治や制度との間には解離が生ずることは十分にありえます。
その場合、最も恨むべきは今の時代に生まれ、すでにあるルールに基づいて官僚になった「今の官僚達」ではなく、日本において官僚制度を確立させ、維持してきた「過去の国民(の総体)」であると考えるのが自然です。しかし、「過去の国民」の中には今でも生きている人もいるでしょうが、すでに死んでいる人もたくさんいます。すでに死んでいる人に責任を負わせることは出来ませんから(もちろん墓をぶち壊すことは出来るでしょうが全く意味がない)、その責任は今を生きる我々が負うしかないのです。不条理にも見えますが、生物学的に今の我々が存在するのは、良し悪しはともかく、過去の国民のおかげなのですから、仕方がありませんよね。私たちは生まれながらにして過去を背負っているのです。
もちろん、過去に囚われる必要はありません。過去から引き継いだものを変えてもいいと思います。変えないというのも国民の選択です。どういう行動を取ったにせよ、今の国民が行った選択はさらに蓄積されて次の世代へ受け継がれてゆきます。それがどう評価されるかは、未来の国民の考え方次第です。
ともかく、今の制度がおかしいと感じたならば、今の国民の「おかしい」とする考え方が間違っている可能性を除けば、過去の国民にその責任があります。つまり、「過去の国民は完全には正しくなかった」ということです。よくテレビなどでは、「国民は常に正しい。官僚は国民の意思を尊重すべきだ」などと主張するキャスターやコメンテータがいますが、彼らの論理はこの時点で破綻しています。国民が過去に遡及して常に正しいのならば、今ある制度は不満一つでない完璧な制度であるはずだからです。彼らがそういう言葉を口にするのは、往々にして今の制度や政治に対して不満があるからであり、彼らの主張とその動機が矛盾するのは明らかです。
「国民は常に正しいとは限らない。間違いを犯すこともある」と主張して初めて「今の政治や制度はおかしい」という資格が与えられます。中には切羽詰って「今の国民は絶対に正しい、間違っているのは過去の国民だけだ」という妄言を吐くトンデモもいるわけですが、時間以外に今の国民と過去の国民が絶対的に違う性質を持つと証明できるものは何一つ無いわけで、「根拠は?」と一言聞けば彼らの主張は一瞬にして崩壊するでしょう。
「国民が間違っているかもしれない」という前提に立てば、良識のある人なら「その国民の一部が自分なのだから、当然自分が間違っているかもしれない」と自らを常に省みて、安易に官僚や政治家だけを批判するようなことはしません。「官僚や政治家にも間違いはあるし、国民や自身にも間違いはある」と考えるでしょう。たとえ「今の政治は国民の意思を反映していない」と主張しても、そこには「違いがあるという点」を強調するのみで、「国民の意思が正しいとは限らない」という留保をつけるでしょう。

よって安易に「今の政治は国民の意思を反映していない」と主張するのは愚鈍といわざるを得ません。自分達が背負うべき責任から目を背けて逃げているだけです。