いい勉強に

5/16未明にPCR陽性の疑い例が報道されてから5日が経ちました。少なくとも我が家では、とりあえずこの問題は一段落して新しい局面を迎えたという認識でいますが、今回実際に騒動を体験してみて思ったことは、「予想以上に日本人はパニックを起こしやすい」ということでした。今回、H5N1やH7N7が来なくて本当によかったのですが、まぁスペインかぜのケースもありますし、いい予行演習になったと思います。とりあえず、新しいウイルスが来ると日本の国民がどういう行動を起こすのか、というのがよく分かりました。と同時に、ウイルス対策よりもパニック対策の方が重要かもしれない、ということに気付かされました。

私自身も家庭でのインフル対策は強毒性を前提に行っていたわけですが、パニックのことは少し念頭には置いていたとはいえ、あまり他の人間の行動まで詳細に分析できていませんでした。実際、この5日間で毎日自分の頭で他の人間の行動を予測してみて、それを先取りする、あるいはそれとは逆になるように行動してきたのですが(多数の人間と同じタイミングで同じことをすれば当然パニックになります。マスコミの指示にも盲目的には従ってはいけません)、それを予め予測しておけば更に適切な対応ができたのではないかと考えています。この点は反省すべき点かなと思っています。教訓「他人と同じことをするな」「常にその先を見ろ」

あと、カラオケボックスに行く高校生を見て思ったことは、「事務方はルールを作ったらそれでいいと思ってはいけない」ということです。公権力を用いて遵守させるように仕向けろ、ということではありません。全く逆です。
なぜそのルールが必要なのか、そのルールの目的とするところは何か、そのルールを適用することでどういう着地点を目指しているのか、その説明のないルールは、ルールとして体を為していませんし、守る意義も見当たりません。ルールは絶対ではなく、あくまでツールにしか過ぎません。

今回も誰も休校の意義(集団が一つの閉鎖された空間で長時間過ごすことをやめる症状が出ている人を登校させないなど)をきちんと説明せず、ただ「感染防止のため」という一点張りで自宅待機ルールを高校生に押し付けました。結果として、「自宅待機によって発生するQOLの損失と、感染防止に関する利益のどちらが大きいのか」という高校生たちの当然の疑問に答えることが出来ず、彼らをこのような行動に至らしめました。ルールを鵜呑みにせず自分の頭で吟味したという点からいえば、カラオケボックスに行った高校生の方が、教育委員会よりは知識はなくてもよっぽど賢くて決断力がある、私はそう思います。もちろん、カラオケボックスに行く行動自体は、私はよろしくないとは思いますが。

(ちなみに神戸市や大阪府も、厚労省から与えられたルールが、現場の視点からは限界に達していることを見越して、厚労省が正式に意思決定する前にそのルールをやぶって、蔓延期の対応へと切り替える方針を打ち出しました。ルールはルールや権威者のためにあるのではなく、活動を円滑にするためにある、ということを再認識させられます)