大きな不安

インフルの検出者数が減少しているという報道を聞いて、「やれやれ」と思っている人も多いと思います。私も「よかったね」と言いたいところですが、実はこれは序章にしかすぎず、本番はこれから特に秋から冬にかけてである可能性が高いというのが大方の医療関係者の考えだろうと思います。実際に日本感染症学会は次のようなコメントを出しています。
「一般医療機関における新型インフルエンザへの対応について」
ここから引用すると

今回のS-OIVが出現・流行する以前のわが国では、来るべき新型インフルエンザでは高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)がいずれヒト-ヒト感染性を獲得して主役をなすという想定が支配的であったことや、数年前のSARSで被害が甚大であったことの影響から、どのようなものが出現しても新型インフルエンザは死亡率の高い感染症であり、可能な限り罹患を避けるべき疾患であると大多数の国民から思われてきました。しかし、過去のどの新型インフルエンザでも、出現して1〜2年以内に25〜50%、数年以内にはほぼ全ての国民が感染し、以後は通常の季節性インフルエンザになっていきます。現在流行している香港かぜもこのようにして季節性インフルエンザとなった歴史を持っており、今回のS-OIVもやがては新たなH1N1亜型のA型インフルエンザとして、10年から数十年間は流行を繰り返すと見込まれます。すなわち、今回の新型インフルエンザ(S-OIV)の罹患を避けることは難しいのです。

つまりこのウイルスはおそらく今後も活動し続けるであろう、というのが感染症学会の見解ということになります。

今回の「事件」を見ていて私が非常に不安に思ったのはウイルスや病気そのものというより、

  1. 根拠に基づかず大騒ぎして人権侵害まで多発する国民の体質で、医療崩壊も起きている中、これからの冬を乗り切れるのだろうか
  2. 関東と関西ではこの病気やその周辺に関する認識が大きく違うように思うが、今回の混乱ぶりをきちっと本場(!)関西で目の当たりにしていない厚労省本省が司令塔であり続けていいのだろうか

という2点です。

1については、何度も取り上げたとおり、この種の感染症には個人の責任というのは発生しえませんし、何人もその責任を問うたり問われたりしてはなりません。誰もが普段の善良なる市民生活の下において、罹患する可能性がある病気ですからね。マスクをしたって100%感染が防げるわけでもないですし、インフルのワクチンを毎年打っている人なら分かりますが、ワクチンを打ったってインフルに罹ることもあるのです。外出を控えるべきという声もあるでしょうが、現代都市社会では外出しないと基本的な生活すら成り立ちません。たとえ自宅に引きこもっていても、宅配業者等がウイルスのついた手で玄関のドアを触って、そこから家人に感染する可能性だって否定はできないのです。

かつて伝染病予防法という法律がありました。明治30年(1897年)に制定された古めかしい法律で、患者の隔離(これは行動制限の一種です)を柱としていたために、感染症に罹った患者を差別し、偏見をもたらす元凶ともなった法律です。この法律はすでに廃止され、99年に感染症予防法という法律になりました。100年も脈々と続いた法律がなぜ変わったかは言うまでもないでしょう。ハンセン病訴訟、エイズ問題・・・私の幼少のころに記憶に残る数々の事件は、感染症対策における人権の問題と日本社会に蔓延する患者への差別意識を浮き彫りにしました。そして、その反省があっていまの感染症予防法があるのです。

感染症予防法の前文にはこう書かれています。

一方、我が国においては、過去にハンセン病後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。
 このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。

また、第二条、第四条次のような条文が書かれています。

(基本理念)
第2条  感染症の発生の予防及びそのまん延の防止を目的として国及び地方公共団体が講ずる施策は、保健医療を取り巻く環境の変化、国際交流の進展等に即応し、新感染症その他の感染症に迅速かつ適確に対応することができるよう、感染症の患者等が置かれている状況を深く認識し、これらの者の人権に配慮しつつ、総合的かつ計画的に推進されることを基本理念とする。
(国民の責務)
第4条  国民は、感染症に関する正しい知識を持ち、その予防に必要な注意を払うよう努めるとともに感染症の患者等の人権が損なわれることがないようにしなければならない

2ch等で感染した患者さん叩きを繰り返す人は、感染症予防法違反です。

2についてですが、阪神大震災の時もそうでしたが大規模災害やクライシスが発生する状況で、頼りになるのは自助>共助>公助(そのうち地方自治体>国)です。公衆衛生のPBLで阪神大震災に関する様々な書籍、記録に目を通しましたが、やはり現場での判断をいかに迅速にするかということが非常に重要で、ボトムアップ方式で「お伺い」を立て、国の(現場からすれば)ノロマな決定を待っていては救える命も救えなくなります。もちろん、国の援助や助言も必要ですが、国の援助が有効であるフェーズは災害やクライシス発生後しばらく経ってからであって、直後はほとんど役に立ちません。発生初期、中期は現場の意向をできる限り尊重し、地方が助けを求めたらそれに素直に応じる、というのが国のあるべき姿です。くだらない法令論議で時間を無駄にすることだけは避けなければなりません。災害が発生した当初は現場や地方自治体レベルでの対応が重要であるということは、私の知り合いの技官の方も論文で指摘していました。

「関東と関西では認識が違う」という部分ですが、これは関東ではどちらかというと新型インフルの問題が「個人の問題」として捉えられているのに対し、関西では感染者数が地元で急増したこと、一律の休校措置がとられたことにより「全体の問題」として捉えられているというニュアンスです。ここでいう「全体の問題」というのは決して「全体主義」という意味ではなく、「この問題では地域社会に甚大な影響が及ぶ」ということを実感しているということを指します。地震や台風などの自然災害を経験しているかしていないかの違いと根本的には同じです。

今回、厚労省は一応担当役人を関西に派遣していますが、中央で対応に当たっていた人間は真の神戸や大阪の姿を目にはしていません。あくまでその役人の報告や報道などの伝聞情報で物事を判断しています。もちろん、これは仕方のないことですが、彼らが今回神戸や大阪で起こったことを、その伝聞情報のままで解釈してもらっては困るのです。実際にその地域にいると、報道では伝わってこないことや、肌でしか感じることができない『異様な空気』があることに気付きます。同じ感染者確認地域の中を移動するだけでもそういうことを強く感じるのですから、未確認地域にいる人間と確認地域にいる人間ではどれだけ感覚がズレるかは簡単に想像できるでしょう。今回の事件から見えてくる課題も、厚労省の役人と神戸市や大阪府の役人では違うと思います。

今回の経験を真に活かしたいのならば、厚労省本省の役人が司令塔では無理でしょう。今回、実際に現場との調整をした神戸市や大阪府の人間が厚労省に出向して合同指揮をとるのなら話は別ですが。