本当にA案でいいのか

文化や心情に配慮を−柳田邦男氏 移植法改正で
実は医学生の中でも相当意見が割れているんですが、先に衆院を通過した臓器移植法案A案について、柳田邦男氏が示唆的なコメントを述べています。

特にこの部分
「(意思不明の場合は)百パーセント家族に責任を負わせることになり、後に尾を引くのではないか」
これはかなり的を得た指摘だろうと思います。医療現場では脳死判定や移植適合判定についてのプロトコールがあるので、脳死が疑わしい段階から医療従事者が動き始めます。脳死についての説明や、移植への同意の有無など、いわゆるインフォームドコンセントのようなことも行われるでしょう。

そういった非日常的で緊迫した雰囲気の中で、100%の責任を負わされているはずの家族が、その責任を自覚し、また熟考した上で正常な判断を下せるのか、私はかなり疑問に思っています。日本人は「私の意思」よりも「周りの空気」に弱い民族ですから、「はやく判断して」とか「あなたが一筆書くだけで一人の命が助かるのに」といった、周囲のビミョーな空気に左右されやすい傾向があります。そして、雰囲気に流された判断をしてしまった後にやってくるのは、後悔や自責といった非常にネガティブな感情です。

理想的には医療従事者も含め家族の周囲にいる人間すべてが、家族が自らの結論を出すまで受容的かつ時間に寛容な態度で待ち続ければいいのですが、人体の状態の問題や周囲の人間個人の信条もあるので、かなり難しいのも事実です。中には執拗に判断をせかしたり、変な正義感にかられて家族に過干渉するバカもいるでしょう。医療従事者でも私の周りを見渡してもそういうことを平気でしそうな人が少なからずいます。

一方で、本人の意思が予めきちんと示されていれば、家族は家族としての立場から判断することのみを求められるので、負担はそれなりに軽減されるはずですし、「この人が望んでいたのだから」と後で心の中の折り合いをつけることも可能です。

日本で今やるべきことは、家族の承諾のみで移植を可能にすることではなく、「意思不明」の人々を減らすことにあるのではないでしょうか。やり方は色々あるはずです。私なりの提言は以下のとおりです。

  • 臓器提供カードの所持率を上げるために
    • 臓器提供カードの「家族署名欄」をなくすか、括弧つきにする

臓器提供カードはあくまで本人の生前の意志を示すことが目的です。なぜ家族の署名欄があるのでしょうか?実際には家族の意思は本人が心臓死、脳死に直面してから改めて確認されます。以前家族が署名したカードは家族の自由な判断を奪いかねません。あたかも言質をとるような署名欄は不要です。
また、本人からしても家族署名欄があることで、自分自身の本当の意思を示すことが難しくなります。家族署名欄があると、(実際には家族署名はなくてもいいのですが)多くの人は臓器提供について家族で話し合わなければならない、と考えます。しかし、家族との関係が悪かったり、家族内で意見が大きく割れていれば、話し合うことそのものを躊躇したり、カードを書くことをやめてしまう人もいるでしょう。臓器提供カードを手には取ってみたが、書かなかったという人の中には、このケースがかなり含まれていると考えられます。「家族が同意しなければ一緒ではないか」と反論する人もいるかもしれませんが、家族の心情は時と場合によって変化します。普段の家族と、本人が死に直面した家族は別物だと考えるべきです。また、年月が経てば家族の構成そのものが変わることもあります。
家族の意思は自分の意思とは関係がありません。ドナーカードはあくまで自分の純粋な意思を示すカードであるべきです。

    • 臓器提供について、二元的判断を求めない

今の臓器提供カードは、提供したい臓器に○をつける仕組みです。つまり○をつけるということは、「決心した」ということと同等です。しかし、実際にはその段階まで至らない心境というのもたくさんあります。「どっちかというと提供したいが、迷いは残っている」「家族に少しでも嫌な気持ちがあるなら、自分の意思として提供しない」「自分はよく分からない」というような場合です。この状況では○をつける人、○をつけない人、カードを書くのを諦める人、と大きく分かれると思いますが、そういう中間的で複雑な心境も表明できるような意思表示の書式を模索すべきです。物事はYesかNoかという単純なものばかりではありません。家族署名欄を無くす代わりに備考欄でもつくればいいと思います。

1.私は、脳死の判定に従い、脳死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します
心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、眼球、その他
2.私は、心臓が停止した死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します
腎臓、膵臓、眼球、その他
3.私は、臓器を提供しません

全体的な印象としてこのカードは全体的に臓器摘出を行う医療者側の立場で作られています。その一つの根拠が「脳死or心臓死→提供臓器」のアルゴリズムです。これは明らかに医師が死の間際の患者に直面したときにどうするべきかをマニュアル化したものです。患者側の立場からすれば、どっちかというと「臓器→脳死の時提供、心臓死の時提供、提供しない」の方がしっくり来ると思います。この臓器は提供してもいいけど、この臓器は提供したくないとか、そういう考えの方が多いですからね。家族署名欄にしても、選択肢の選ばせ方にしてもなんとなく威圧的なところがあるのです。医者の免責のために意思表示をしているわけではないのに(もともと責めるつもりもありませんが)、免責を保証するためのようなカードにしか見えません(実際、法的にはそういう側面の方が大きいのですが)。

  • 臓器提供の意思を示す機会を増やすために
    • 自動車運転免許更新時、選挙投票時にカードを配る
    • 入院のときにDNR同様に臓器提供についても意思を表明してもらう
    • 健康保険に加入したり申請を行うときに、臓器提供についての欄を設ける(記入を必須とはしない)