読書記録

裁判員制度特集というわけではありませんが、司法・治安系の本を借りてきました。

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

この本は最近世間で実感として伝えられる「治安悪化」に対して、綿密なデータ分析により疑問を呈すると同時に、安全な社会を構築するために国家や国民がどう変わらなければならないか、ということを社会学的なアプローチで指摘しています。著者の論考の中でもっともユニークと思われるのは「境界」の役割とその復活を提言している点です。かつて、昼と夜には境界があり、泥棒は多くの人が活動しない夜に住宅街をうろついていたので、警察も取り締まりがしやすかった。ところが、最近ではコンビニの出現等により、昼も夜も関係のない生活が浸透し、夜に住宅街をうろついているからといって泥棒と推定するわけにはいかなくなり、警察の取り締まりが困難を増したのだと。また、繁華街と住宅地の境界もなくなってきており、かつて繁華街に子供をやると人さらいに逢うとされていたものが、今や子供でも安心して繁華街に繰り出せるようになったのと同時に、かつては犯罪の場ではなかった住宅街に犯罪の場が移ってきている、という指摘も興味深いです。

直接の関係はありませんが、心理的な側面においても自他の「境界」が脆弱になると、精神的に問題を来したりすることがあります。箱庭療法では必ず枠があり、その枠を侵襲するような景色が構成されると、自我の境界に問題があるというようなことがいわれますが、著者の指摘とどこか類似性を感じますね。ちなみに著者は河合幹雄氏。箱庭療法ユング心理学で有名な河合隼雄氏の息子だそうです。そう考えると、著者が「境界」に着目した理由も納得できるような気がします。

なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか

なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか

光市母子殺害事件については有名なので解説する必要はないと思いますが、少年の弁護人を務めた今枝弁護士の著書です。この本を読んで初めて知ったのですが、今枝弁護士自身、少年時代に自殺未遂を起こしたり、心療内科病棟に入院していた、つまり社会的弱者としての経験を持っていたわけです。おそらく、このことが彼をこの少年の弁護へと駆り立てた大きな要因となったのは間違いないと思います。自分の過去に通じるものをこの少年が持っていたのでしょう。

私は、一般的に社会的弱者に注目できるようになるためには、自身が何らかの形で弱者の経験を持ったり、弱者と親密な関係にあるということが大事だと思っています。特に学生時代にpsychologicalな問題を抱えたり、そういう友を持つというのは、いい経験かもしれない。少なくとも楽しくワイワイ過ごしただけの経験よりかは、何か深いものが得られていると思います。

なお、テレビで騒がれた「ドラえもん」騒動ですが、この著書を読むと幾分か理解ができます。彼にとって押入はドラえもんそのものだったのかもしれない。私も小中学生時代の経験から「押入」には特別な思いがありますが(思考が混乱した時や深い悲しみに暮れたい時は、ドラえもんのように暗くて静かな押入に隠れて一時間ぐらいじっとしているのが日常でした。さすがに今は体重が重いので押入に登ることはありません)、彼にとっても押入は何かの象徴だったのかもしれません。

私は彼の著作を読んで改めて思いますが、あの事件に関しては死刑にすべきでないと考えています。事件は起こしたといえども、彼自身が相当な弱者であったことが推測されるからです。父親からの虐待・家庭内暴力、母親の自殺、周囲からの孤立、解離や退行とも捉えられる行動・・・彼の心理状態はどう推移していったのか、そしてそういう彼に「育ち」を経験させることにより更生が可能なのか、それを調べるためにも彼には生きていて欲しいと思います。それでも更生できなければ被害者感情も考慮に入れて死刑でも構わないとは思いますがね。

死刑にも(更生することを条件に)執行猶予付きの判決があればいいのに、と思う次第です。

あと、救急で実習した時に思ったことですが、薬物とか犯罪に手を出す人々というのはどこか弱い面を抱えていることが多い。犯罪者=どうしようもない野獣、というようなステレオタイプはやめた方がいいと思います。そういう人もいることはいますが、決してそういう人ばかりでもないのです。