現実とは何なのか?

技術の進歩と大きな物語の崩壊によって発生した「空虚な自己」。
最近の若者の少なからずには「現実と仮想の根本的な違いは何か」ということをつかめない人がいます。何を言おう私もその一人です。

これにはいくつかの理由があります。

  • コンピュータ技術の発展により昔では考えられなかったほど仮想が現実に近づいた
  • 以前にもまして現実の不確実性が増し、一定の常識でもって非現実を判断できない状況が増えた
  • 単純に昔は現実と非現実の違いが大きすぎて、「現実とは何か」という命題をちゃんと考えた人が少なかった

私は、この問題に関しては一概に若者の判断能力が落ちている、というステレオタイプな捉え方は不適切であって、むしろ昔の人々が本来、当然に持つべき疑問を漫然と見過ごしていただけではないかと考えています(哲学者や一部の鋭い人々は考えてましたからね)。もちろん、そこには技術が発達していなかったというやむを得ない側面があるのを否定はしませんが。

ともかく「現実とは何か」「現実と仮想の違いは?」を考える上で、私は先日紹介した「Matrix」と同時期に出たもう一つの映画、「eXistenZ」をお勧めします。

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ちょっとグロテスクな映像も多い映画ですが、普段内臓や血をよく見ている私にとっては大したことないといえば大したことないグロさです。問題はグロさではなくて、ストーリー設定です。見れば分かりますが、どこまでがゲームの中でどこまでが現実なのかがいまいち判然としない。仮想現実が3段階以上の入れ子構造になっているためです。例えるなら、万華鏡や合わせ鏡みたいなもんですね。どこまでが虚像でどれが実物なのかが分からない。

最近では視覚障害者のための技術として、カメラの映像をいくつかのドットにして脳に直接シグナルを送るという装置が開発されているようですが、将来的に五感すべてを末梢神経を通さず直接すべて中枢神経にシグナルを送る装置ができれば、この映画でおこっていることは実現可能です。個人的にはそういう装置は面白いし、開発に携われるのなら携わりたいと思っています。

この装置を作ったうえで、もし、人間がそれでもあくまで(我々がいまこれが現実だと思っている)現実と仮想をちゃんと区別できるとしたのなら、それはいったい何がもたらしているのか非常に興味深いですし、逆に人間が現実と仮想を区別できなくなるのならば、今我々が現実だと思っている現実は本当に現実なのか、という疑問がかなり科学的に提唱できることになります。いずれにせよ、現実に関しての疑問は無視や逃避はできこそすれ、すっきり解決できる日はかなり遠いようです。