疾病はカテゴリカルではなくディメンジョナルに捉えるべき

昔から私はどうも物事を分類的に捉えるのが嫌いです。生物の分類(〜類)とかは超嫌いな分野でしたし、好きな理数系科目でも分類系は非常に嫌いでした。分類的に捉えると単純に覚える量が多くなりがちでどうしても丸暗記になってしまうこと、物事を上から押し付けられたクライテリアでバッサリ切るのが嫌いだったためでしょうか。現代の疾病も基本はカテゴリー化されているので、正直覚えるのには苦労します。

ただ、遺伝子を扱った研究をした経験から言うと、このカテゴリー分類というのはあまりに病態の本質を見逃している気がしてなりません。単一遺伝子や単一病原体によって発生する疾病であればカテゴリー分類は十分に正当性を持ちますが、多くの病気は多遺伝子疾患であり、環境要因も様々です。いくつもの遺伝子のSNPによって総合的な病気のなりやすさ、なりにくさが数直線上にプロットされており、そこにさらに環境因子によってパラメータをいじると○○病の重症型になったり、軽症型になったり、そもそも病気には見えないこともある。一般的にこういうものって、1か0かの分類ではなく、やはり連続的に捉えないといけないとおもうんですよね(実は悪評高い国試はその辺を完全に無視している)。そういう分野の典型が精神科だと思います。人格障害など特にそうですが、どこまでが正常でどこからが異常かなんて文化や時代によっても違うし、同じ名前の疾病の人でも軽い人から重い人までさまざまいる。

ところが、その精神科では一般的にDSMという診断基準が使われています。これはアメリカ精神医学会が出している精神障害の診断基準で、この分野では世界標準になりつつあります。DSMの現在のバージョンはIV-TRなのですが、これを読むとそれぞれに厳密なクライテリアがあって、完全にカテゴリー化されている様子がよく分かります。これは確かにバシッと診断を出したい時(レポートを書く時や診断書をだす時など)には便利なのですが、どうも違和感がぬぐえないというのが本音です。この人、○○病っぽいよね〜と思っても、クライテリアから外れたらそうとは診断できない。逆もしかり。ほとんど臨床に接していない私でも違和感を感じるぐらいですから、当然臨床の精神科の先生方は不満を持っておられるようです。一方で精神科を専門としない内科の先生などはDSMを重宝していて、このDSMだけでうつ病と判断してSSRIなんかを投与していることもあるようです。それが今、大きな問題を引き起こしているのは周知の事実ですが。

そんなDSMですが、2012年に改定が予定されています。IV-TRが出たのは2000年ですから、12年ぶりの改訂になるんですかね。精神科をまわっている時に先生にDSM-Vについて訊いてみたところ、「DSM-V研究行動計画」なる書籍を手渡されました。

DSM-V研究行動計画

DSM-V研究行動計画

だいたいみすず書房の本は概して字が細かい上に、この本はかなり分厚くて読むのに時間がかかるのですが、非常に興味深いことが書かれていました。

医学の他の分野では、疾病の分類は必ず類型学である。これには、人間精神の働きの基本特性であって日常言語の名詞の中に具現している、対象をカテゴリー的に認識するということによる部分もある。また、伝統的に疾患とは大抵が個々に独立した実体的単位であるという、いわれのない仮定がある。(中略)その結果、事態に精通した研究者、臨床家たちは、精神医学の症状の多様性を表現するのにはカテゴリーよりもディメンジョンのほうが優れており、特に人格特性において格段にそうであるとおいう見解を提出してきた。事実、クロニンガーは「主要な症候群間の自然境界が存在するという経験論的根拠はない」「カテゴリー方式は根本的に無根拠である」と言いきっている。なお、四十年前すでにヘンペルという哲学者が、科学の各分科はそのたいていが対象のカテゴリー方式による分類から出発するが、定量の正確さが向上するとともにディメンジョン方式に変更されることが多いとみていることも、ここに記しておくべきだろう。

これはまさに私がいつも抱えているモヤモヤ感をずばり言い当てています。この文章を見た瞬間にこの本はじっくりでも読む価値があるな、と思いました。これは単なる研究行動計画ではなく、疾患とは何か、正常と異常はどのように区別されるかといった根本的で形而上的な問題をも考察しているようです。私は何か救世主に出会ったような気分になりました。

まだ、読み始めて少ししか経っていませんが、他に面白いところがあれば順次紹介していきたいと思います。

ちなみにカテゴリカルな部分もROC解析(Receiver operating characteristic:受信者操作特性)という概念を用いれば、連続したものに対して分類を行うことに対する正当性を主張できるのですが、そのROC解析自体が連続的で確率的な概念を一定の間違いを許容しながらロジカルな概念に変換する仕組みですから、カテゴリカルな分類には常に本当の結果が正反対である可能性を秘めていることになります。医学にしろ法律にしろどんな分野にせよロジカルにものを捉える時は、常にそういう可能性を考えておかなければならないと私は思うのですがね。