神戸検察審査会の異常さ

最近、裁判員裁判より検察審査会の異常さが目立ちますね。明石の歩道橋にしてもJRの脱線事故にしても「人が死んだら誰かが責任を取らなければならない」という強迫観念に取り付かれているかのようです。こういう事故は色々な要素が絡みます。果たして予見可能性がどの程度まであったのか。最近予見可能性をあまりに広く取りすぎているような気がしてなりません。たかが人間、複雑化し、システム化した社会や自然のことは正確には予見できないのは社会で生活していれば当たり前に分かるはずなんですがね。私は事故調ができるような分野での過失事件そのものの刑事罰に断固反対です。