自供ほど信用ならないものはない

人間の記憶というものは数日の間であれば会話内容をほぼ完全に記憶しているものですが、1か月もすると内容は再構成されてしまい、記憶に歪みが生じる結果、自分の思い込みや深層心理が働いてなかったことをあったことにしたり、あったことをなかったことにしてしまうことがよくあります。犯罪でも数カ月して犯人が現れたり目撃者が現れたりしますが、そういう自供は結構怪しいことが多いはずです。

私が巻き込まれた某事件では、監督不足は認めるが違法行為は指示していないという教授の言い分と、違法行為を指示されたという大学院生の言い分が真っ向から対立し、結果的に大学側は学生側の言い分を採択しました。ですが、私が思い出してみても同じようなニュアンスの指示は言われたような気もするし、言われていないような気もするのです。先日、元院生の方何人かと再会しましたが、このことが話題に上った時、確信をもって「指示された」と言えたのは一人だけで、あとはそういう雰囲気や圧力は確実にあったが、果たして明確な指示があったかは自信を持って言うことはできず、主には先輩からの慣習を引き継いだものであったり、引き継いだことを同級生同士で教えあったものであるとする人の方が大勢でした。*1

この事件ももしかしたら、局長の空気を読んでしまった係長が、指示されたと思い込んでやってしまった「過失」事件だったのかもしれません。
当時の上司、検察調書の内容否定…村木元局長公判
本質的に自供なんて当てにならないのです。新聞を読むときは皆さんも気をつけて読んで下さいね。昔の記憶は多かれ少なかれ偽装されているということを。

*1:そもそも当該違法行為と言うのは、法律の条文にちゃんと書いてあるわけではなく、規則や通知レベルで付表として規定されている細かな条項であり、私も含め半分ぐらいの人はそもそもその行為が違法であるなんていうことは知らなかった(つまり、法的責任は生じても本質的に悪くない。ちなみにその条文は間接罰なので刑事責任を問われることはありません。民事責任は知りませんが被害との因果関係の立証が困難なので、責任は生じることはないと読んでいます。すぐに3年の請求権時効が来るでしょう)ことから考えても、この事件全体を総括すればやはり一種の「システムエラー」と考えざるを得ないわけです。昔の誰かがやり始めたことが違法性の認識なく、立証困難な圧力と雰囲気によって組織全体に広がり受け継がれていった。外部での経験があり違法性を知っていた人もいたが、やはり圧力と雰囲気に圧倒されて言いだせなかった。こういうケースでは組織全体としての責任はあるが、個人の責任はないに等しいと思います。正直、この件に関しては私もトラウマになっているのでこれ以上は語りたくありませんが、一つだけ言わせてもらうと他にも違和感なく同様のことをしているところはたくさんあったのは事実です。自分で内外の他施設を見学したり、ちら見することもありましたが、程度はマシとはいえ、同じようにしているところは結構あったように思いますね。ということで大学側がその後に行った調査はウソとはっきり言えます。調査文面もかなり隠ぺい圧力がかけられたものだったという話も聞いています。なので、私は教授もそんなに信頼してませんが、大学はもっと信頼していません