非常に興味深いブログ

ふとたどり着いたブログがとても面白いものだったので紹介しておきます。
決して楽しいブログではないと思いますが、考えさせられること、心に響くものが多くて参考になります。どうやら法曹関係(元書記官?)の方が書いているようですね。
犯罪被害者の法哲学

記事を見る限り私とは多分、逆の考えをもった方だと思いますが、それとは別にまた面白いブログだと思います。

追記:
このブログを色々読んで思ったのは、確かにデータや国際情勢から「頭(論理)」で考える死刑廃止論は胡散臭い。でも、このブログで語られている「心(感情)」で感じる死刑存置論も同様に胡散臭い。たぶん、人間の精神の二大要素である「頭」も「心」も、実は思い上がりに満ちた邪悪なものだからじゃないだろうか。先日紹介した泉谷氏の概念図でもあったように、「頭」は「心」をバカにする。すぐに支配下に置きたがる。イデオロギーには「心」のかけらもないだろう。でも、その「心」も自然とか運命のような人間の手に負えない秩序(俗に「神の領域」と呼ばれるもの)をバカにしている。このブログは頭(=法律家の常識)をその土俵である論理で否定し、心を肯定しているから心にはとても響く。このブログに心が共鳴するのだ。でも、何度も読むとどこか胡散臭い気もする。たぶん、それは「心」が運命をバカにしているということを、「心」押しのけられた「頭」が感じ取るからじゃないだろうか。「確かに俺はお前をバカにしている。でも、お前だって運命をバカにしているじゃないか」頭の抗議が聞こえてくるような気がする。

犯罪被害者の言動に私が理解はしつつも、いつも何か違和感を抱くのは、彼らが「心」に囚われ過ぎているからなのかもしれない。頭がはびこる現代社会では、その反動もあってか「心は頭より素晴らしい」と多くの人は思っている。「心がなければ人間じゃない」とも思っている人は多い(実際にはその心がうまく発達しない人もいる、という現実も・・・)。でも、その心も実は頭と同じように、思い上がった万能感のようなものを持っている。「生きているのが当然だ」「なんで私だけが嫌な思いをしなければならないのか」頭の抑えつけが弱かったり、心のエネルギーが莫大であればすぐに心はそう思ってしまう。でも、ひとつ同じ動物の世界を見渡せば生きているのが当然なんてことはないし、自然の世界には分布が必ずある。自然の中で生かされている以上、運命として得をする人と損をする人が出てくるのは当たり前のこと。それを「人間中心」の思い上がった態度で否定したがるのは心のなせる技だ。その心をそのまま全肯定してしまっていいのだろうか。まだ頭はその辺のことはよく分かっていると思う。

正直、私は頭と心のどちらが重要か、尊いかを議論するのは無理なんじゃないかと思う。どっちも大事だし、無視はできない、お互いに欠点もある。最終的には頭にも心にも欠点があることを知り、その両者を凌駕している自然への尊敬を忘れないこと、それが一番ベストな姿勢なのかもしれない。そういう点では、「神」って意外と大事なのかもしれない。