3K

最近はKYとか、なんでも略語にするのが大流行りですが、かつて結婚の3Kといえば高学歴、高身長、高収入でした。とある調査会社によると最近の3Kは「価値観が合う、金銭感覚が一致、雇用形態の安定」だそうです。雇用形態の安定はある意味当たり前ですが、不思議なのが前者2つ。考え方や金銭についての価値観が一致するということが条件になっているのです。これを逆に考えれば、それだけ社会の価値観が多様化しているということ。あまりにも価値観が違うと、当然一生お付き合いするのは無理ということなのです。

そして、実はこの2K、実は友達関係にも当てはまるんじゃないかと私は考えています。だいたい、学校とかでは、3〜7人ぐらいでいつも一緒に行動する「グループ」が形成されますが、概して趣味が同じとか、価値観や行動パターンが似ているとか、そういう要素で形成されている感じがします。そうじゃなければ、下らないことに対する議論一つにしても話がかみ合わなかったり、価値観の違いでいつもケンカばかりしているということにもなりかねません。多少の相違はあるにせよ、だいたいグループ内での価値観は似通っていることが多いと思います。

友達でも彼氏彼女とでも価値観が似ていなければ成立しない、ということはいったい何を意味するか。これは世間全体が多様な価値観の中で島宇宙化していく、ということを示唆します。コミュニティがそれぞれ狭小化し、似たような価値観の者同士が親密なコミュニティを形成していく。国が州とかに細分化されるようなイメージでしょうか。違うコミュニティとのやり取りは当然、異文化コミュニケーションになります。同じ国の人間でも違う価値観の人間は半分外国人と考えた方がいい、そんな世界になっていくのでしょう。

人によってはこういう社会に対して懸念を抱く人もいるでしょうが、私はこれ自体に問題があるとは思っていません。1億人も人間がいるのですから、価値観が多様化するのは当然のこと。むしろほぼ単一の価値観で動いてきた過去の方がおかしいのです。

ただし、現実的な問題はあります。過去の単一化した価値観で動いてきた人々には異文化コミュニケーションという発想がありません。つまり相手も同じ価値観であるということを前提に行動しているのです。こういう過去のスキームで動いてきた概して年配の人々に、いかに異文化コミュニケーション力をつけさせるか、その課題が克服されないと島宇宙化した社会では無用なトラブルが連発されることになります。実際、私の場合は価値観が相当違っても若者同士でトラブルになることは少なく、むしろ60代以上で「人間はすべて同じ価値観」と思っている人とトラブルになることが多いような気がします。あるいは「ある価値観が絶対」と思っているマニアとか。だいたい、そういう人は色々な人とトラブル起こしてますが。

異文化コミュニケーション能力、これが協調性に替わるこれからのキーワードでしょうね。